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老化とストレス

泌尿器科の臨床に携わっている友人から講演をたのまれて、茨城県の水戸に行ってきた。
上野から特急で1時間少々、決して遠くはないが、始めての訪問であった。
徳川御三家の 一つであるから、古い町並みが残っていることを期待したが、空襲ですべてなくなったと 聞かされた。
戦前から近くに日立などの工場があり、米軍空襲の標的になったのである。
水 戸といえば偕楽園、広い梅林と三波湖がある。それを見渡す好文亭という木造3階建ての 豪華な住まいもある。
九代藩主斉昭公が19世紀の末に別荘として作らせたものである。
これも、空襲で焼け、戦後に建てたものだそうだ。だが築50年くらい経っていて、それ なりに古くなり、風情があった。

地方会の例会のあとの1時間くらい講演の予定だった。
例会は熱気のある討論にあふれ、予定時間をかなり過ぎていた。終わるとどっと人が出て行き、会場内は3分の1位になってしまった。
わたしの講演のテ−マが「老化とストレス」で、老化という言葉が若い医師の興味を惹かなかったようだ。
残ったのは年寄りの医師ば かりであった。
泌尿器科といえば男性の患者、それも年寄りの多いことが今の診療現場で ある。
その年寄がどれほどストレスに脆弱な体制(状態)となっているのか、それを説明 するのが、講演の目的であった。
しかし、話が進むにつれ、患者の問題というよりも、年を取りつつある医者個人の問題でもあったので、真剣に聞いてくれたようである。今、診療の現場ではお年寄が多いことはどこでも同じである。
だから、どの医者も自分は老年科 に関しては専門家だと思い込んでいる。
しかし本当は、老年科にはそれ特有のノウハウがある。

昔、私は東京の北にある板橋の老人医療センタ−の病理解剖を手伝っていたので、一応門前の小僧として、老人の診療では何が大事が少しは聞いている。
その小僧から見ても、一般の医師が老人特有の生理や病態を知悉しているとは言い難い。
貧血は老人では珍しくない。
一番多い原因は、骨髄そのものの造血機能低下によるもので、半ば生理的なものである。
しかし、それだけでなく意外と多いのは背景に癌が隠れていることである。
「老人に貧血があったら、癌を疑ってみる」というのは老人医療センターでは常識であったが、一般病院ではまだ、そうはなっていないようである。
私は病理学に加えて免疫学も専門の一 つにしている。それに関連して、よく頼まれるのは「老化と免疫」に関する講演である。
つまり、老人では免疫機能が非常に低下しているため、感染症に罹りやすいので注意しなければならないと云うことである。
末梢血液中のリンパ球の比率・数はおおまかな免疫機 能を反映している。
しかし、普通の診療で白血球の数は測定するが、リンパ球の数までは注意しない事が多い。
リンパ球が少ないと免疫機能が低く、感染症の治療目的で投与する 。
抗生物質も効きにくいのである。

老人の肝臓や腎臓も予備能力なしにぎりぎりのところで 働いていることが多い。
検査では異常値を示さなくても、ちょっとしたストレスや感染という負荷がかかれば、たちまち機能障害を起こすことは少なくない。
病気を治すつもりで 与えている薬は、肝臓や腎臓には負担をかけている。
成人では問題がないが、老人では大きな負担となる。病理学の立場から見ていると、投薬が原因で起こる肝臓や腎臓の機能不全は珍しくない。
老人がストレスに脆弱な体制であることは、ある程度の理解はしてもらえる。
ストレスといえば、精神・心理的なものに加えて、感染症そのものも大きな原因となる。
肝心なのはその先である。
ストレスが加わると、内部環境に大きな異常が起こらないように、神経・内分泌・免疫系が働く。
副腎から分泌されるコルチコステロイドもその際重要な働きをしている。
しかし、老人では免疫系を始め、神経・内分泌系の機能が低下している為に、ストレス後の内部環境恒常性がうまく保持されない事が多い。
その為に身体の臓器やシステムに機能障害が生ずることになる。それが新たなストレスとなり、悪循環となる。

感染症の治癒を考えて、抗生物質を投与しても、それが新たなストレスになり得ることも考えに入れなければならない。
癌の発生が年と共に増加することは統計的に確かな現象である。
生命の維持に必須の血管も動脈硬化により、確実に傷んで来る。剖検の現場で医学部の学生に粥状動脈硬化でボロボロになった大動脈を見せると、必ずびっくりする。
「百聞は一見に如かず」である。
従って、厚生省の統計で日本人の3大疾患が癌、脳血管障害、心血管障害と聞いても納得できる。
日本人の平均寿命は80歳前後である。つまり、その年齢に達するまでに、半分くらいの人がこれらの3大疾患で亡くなることが多いのである。
しかし、以前もどこかで書いたことがあるが、百寿者の直接死因の第一は感染症である。
免疫機能が極端に低下しているので、感染症に罹りやすく、とくに何らかのストレスが引き金になることが多い。さらに悪いことにはその感染症そのものがストレスになるという悪循環である。
今の世の中ではストレスを避けることは不可能である。
何度も云うようだが、このストレスの受け皿は神経・内分泌。
免疫系である。ここでうまく処理できなければ、体温、血圧、心臓の動き、発汗など、いろいろな内分環境を維持する機構に問題が生じてくる。
老人ではもともと何か病気を持っている事が多いから、その症状の増悪化と言うことも起こる。
糖尿病があれば、ストレスにより、糖のコントロールが悪くなる。
また、潜伏癌があれば、それが顕在化することもある。動物実験でみると、ストレスにより癌の増殖や転移に拍車がかかることは明らかである。

老人が診療所や病院に行く理由はいくらでもある。
痛み、めまい、不安感、便秘、全身倦怠感など、多種多様な自覚症状で医師を訪れる。
基礎疾患があれば、治療は出来る。
しかし、大部分はいろいろなストレスによる体内環境の調節異常であるから、検査しても原因が分からない。治療の対象がはっきりしない。
でも症状はあるので、一応薬が出される。
患者の方はハッキリした返事がもらえないから、更に別の医者に行くことが多い。
つまり、医者巡り、病院巡りである。
別の病院では、前の病院での事を知らない場合が多いから、また似たような検査をし、似たような投薬をする。
薬の中味は同じでも、会社によって名前も形も異なる。
患者は新しい薬だと思いこむ。医療費の無駄使いであるばかりでなく、もし、もらった薬を患者が真面目に服用したら、身体に悪さをする場合もある。
繰り返すが、肝臓・腎臓に予備能力の少ない老人にとって、薬は毒になり得る。

診療所や病院には診療記録(カルテ)がある。
カルテには患者の訴えから始まり、家族歴、既往症、検査結果、投薬の記録が全て記されている。
そのカルテは患者の個人情報であるが、患者は所有せず、病院・診療所の所有となっている。
問題はここにある。
このカルテを医師のもとでなく、患者の所有にすれば、無駄な検査や投薬は激減する。
老人になれば、物忘れも激しくなる。
新しく訪れた医師に、本人が口頭で自分の診療情報を正確に伝えることはとても難しい。
でも、患者が診療記録を所持していれば、問題は少なくなる。あの分厚いカルテをもつ必要はないのである。IT革命の時代である。
画像を含めて殆ど全ての情報はデジタル化できる。
その気にな れば、ICのついたカード1枚で済むのである。
インターネットの時代である。
画像などの大きなデータはどこか大きなホストコンピューターにしまっておいて、必要な時に呼び出せば良い。
また、呼び出すときは、個人のもつICカードが暗号となるから、プライバシーは十分保護される。
それなのに、どうして、そういう方向に行かないのか不思議である。
多分、いろいろな業界のエゴが絡んでいるとしか思えない。

守るべきは官僚の組織でも、業界でもない。
あちらこちらでいいように振り回されている「患者」なのである。
IT革命とはいっても、年をとってキーボードに縁がない人には関係ない、ということになりかねない。
しかし、IC付きの診療カードを持てるようになれば、本人がキーボードを叩かなくても、IT革命の恩恵に浴すことになる。
自分も年をとってくると、そういうことを願うこの頃である。